「完全な計画」 

〜甲状腺癌が与えてくれたもの〜
                                               前畠 孝枝

私は小学校三年生のときから二四才まで熱心に教会に通っていましたが、結婚を機に教会を離れ、自称「隠れキリシタン」として十六年過ごしました。その間、二人の娘がひどいアトピーであったことや、夫の祖母の介護など、苦しいことがある度に教会に行きたいと思いましたが、主人の反対もあり、行くことはありませんでした。しかし、甲状腺癌の宣告を受けたとき、わたしの足は自然に教会に向かっていったのです。礼拝堂に座ってゆっくり祈り、牧師先生にこれまでのことや病気のことを話しました。家に帰って主人にそのことを話すと、日曜日の礼拝に自分が送って行ってやる、というではありませんか。驚き、そして神様に感謝しました。
 最初の手術は、甲状腺の左半分と、その周囲のリンパ節の摘出でした。約五時間の手術が終わって待っていたのは、声が出なくなる、という厳しい現実でした。手術前から甲状腺の近くには声帯に続く神経があるので、場合によっては声を失うかもしれない、と言われていたのですが、まさかその通りになるとは…。「神様、あなたを賛美するために、声を返してください。」と祈りました。まったく出なかった声が、少しずつ出るようになり、退院する頃には聞き取りにくいけれども話せるようになりました。      
 三ヶ月後、二度目の手術を受けました。やはり声を失うかも知れないという恐怖と戦いでした。気管切開になるかもしれない、と随分悩みました。その時、「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」という聖書の言葉が心に響き、勇気を持って手術に臨むことができました。声は以前のままでした。でも、ショッキングな宣告が待っていました。もう一度手術をしなければならない、というのです。逃げ出したいような不安と恐怖に襲われた時、聖書の言葉に励まされました。
「この大祭司(イエス・キリスト)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」
 三回目の手術は、甲状腺の下にできた悪性のリンパ節の摘出で、それが声帯に続く神経に癒着しているかどうかが最大の問題でした。もしも癒着していれば気管切開になって、声を完全に失うことになります。「今のままの声で話し、自分のやりたい仕事をして短く生きるのと、声を失い、自分のやりたい事もできずにただ長生きできるのとどっちがいいだろう。」でも、「神様は、私の人生に必ず素晴らしい計画を持っておられ、ここで声を失うことはない、もしも声を失うことになっても、その先に必ず神様は私に御言葉を与えてくださり、導いてくださるはずだ」と信じて手術に臨みました。幸い手術は、腫瘍が神経に癒着してなかったので三十分程ですみ、声は前のまま残されました。
 十一ヶ月にもおよぶガン治療は、長い、長い、辛い試練でしたが、この病気によって教会の門を再びくぐるチャンスが与えられました。そして苦しい試練をとおして教会の一員としてイエス様にしっかり結びつけられたのです。治療中に与えられた、お話し、信仰の友、本、賛美、カセット、それぞれの一つ一つが、私にとってベストタイミングに聖書の言葉や励ましを与えてくれました。イエス様が「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」と言われたように、イエス様がその中心におられ、完全な計画の中で、弱っている枝の私を支えていてくれているようでした。病気が癒されたことはもちろん嬉しいことですが、教会に帰って来られたこと、そして、家族に少しずつではありますが、教会のこと神様のことを話せるようになれたことが、私は何よりも嬉しいのです。

「それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(聖書)


写真素材:ひまわりの小部屋