「試練を乗り越える力」

〜肉親の死に接して〜 大北 裕子

 「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」 (聖書)

 私はクリスチャンホームで育ったせいか、神様もイエス・キリストの存在も当然と思っていたので、特別な決心も無いまま、両親の勧めもあって、高校3年生のイースターに、千葉の教会で洗礼を受けました。始めての聖餐式のブドウ酒がとても嬉しかったことを覚えています。
 学生生活、社会人生活、主人と出会って結婚する間際まで、際立った大きな事件もなく、ホワホワと暮らしていたと思います。 結婚式の1ケ月前、結婚準備で忙しくも楽しく過ごしていた矢先、母が突然脳梗塞で倒れたのです。音をたてて、ドサッと畳の上に倒れたのです。そのときから、一変して、父と弟と3人で昼夜を交替しては、病院に詰める日々が続きました。
 主人の助言もあって、予定通り挙式し、しばらくは母についているつもりでしたが、結婚式が終わった後で、父が私に言いました。「あなたはもう大北に嫁いだのだから、きちんと主人について行きなさい。」私は、突き放された思いで悲しかったけれど、また父の優しさもよくわかりました。そして私は、千葉を離れ、主人との広島での生活が始まったのです。
 母は、約1年間リハビリセンターに入り、右半身不随・言語失調の状態で家に戻ってきました。その間、父は母まかせだった家事をこなし、脳梗塞の後遺症について調べ、母との生活に備えていました。私が気がつくと、病院でも家でも、父の聖書を開いている姿がありました。父もまた、この試練の中を、神様に助けを求めていたのです。母の言語のリハビリには、聖書と祈りが役立ちました。
 母の家での生活が軌道に乗り始めた頃、突然弟が病死してしまいます。悲しみのあまり、母は体が動かなくなり、父は無気力になってしまいます。母は「私もすぐ逝くから」という思いだったのでしょう、言葉のでないまま、自分の写真を、弟の棺に入れたのです。母が衰弱して死んでしまうのではないかととても心配でした。弟は亡くしたけれ
ど、私も母の子供で、ここに居るのだから、「生きていてほしい」と私は母にお願いしました。
 父も母も、祈り、すがるように聖書を開く日課を続けているうち、母は孫のために、左手で、刺繍したり、ちぎり絵を作ったりと、喜びを与えられたのです。神様は、悲しみの底からひき上げて下さった上に、喜びまで与えて下さり、思いもよらないプレゼントを用意して下さるのですね。
 思いもよらないプレゼントは、私たち家族にも下さり、主人の東京転勤が、突然実現するのです。わずか2年間でしたが、母と共に過ごし、母の最期を看取ることができたのも、神様の計らいだったと思います。
 私は一時、結婚も広島での生活も「何の意味があるのだろう、全部、やめてしまいたい。」と考えたこともありましたが、結婚、夫、家庭の大切さを、母から、父から教えてもらったと感じています。私たちの家庭は、両親の信仰のおかげで、これまで育んでこれたと感謝しています。
 キリストを通して両親の愛を、両親を通して神様の愛を、私に気づかせて下さった事に、私は、深く感謝するばかりです。


写真素材:ひまわりの小部屋