「子供たちに贈る言葉」

〜四人の子育てで学んだもの〜 国重 貴子

 「神様、こんな私があなたの大切なこの子を育てて本当にいいのですか?」

 生まれたばかりの長女の寝顔を見ながら思わず神様に告げてから、 10年以上が経ちました。初めのこんな畏れの気持ちはいつしか日々のどなり声で吹き飛ばしそうになりながら毎日をただただ慌ただしく、騒がしく、乱雑に過ごしてしまっています。それでもふと今どなろうとしている子は、私の所有物じゃない、神様からの大切な預かりものだということを思い出すと爆発寸前だったひどい言葉がおさまることがあります。(いつも思い出せるといいんだけど。)この子たちと過ごせる神様が許して下さっている時間を、心が温かくなる様な時にしたい、両親といた時が楽しかったという思いをたくさん心の貯金箱に貯めておいてほしいと願っていた事を思い出すのです。
 新聞を見ると、最も身近な人から傷付けられた経験を持つ人が少なからずいることを知らされます。一番安心できるはずの場所で一番受け入れてもらえるはずの人から傷付けられる。こんな哀しいことはないと思います。子供たちは回りの人の望む型に自分を合わせようとするそうです。その人が受け入れてくれるように…。私はどうだろうか…と自問してみると…あぶないなぁ。何でも自分で決めて、私には決して甘えない。夜は早く眠る。宿題は帰って来たらさっさとして時間割をする。そういう「いい子」をいつの間にか計画してしまっているような気がします。
 私のではなく、神様のプランはどんなプランだろう。どんな最善を用意しておられるのだろう。私が出来る−番良い事とは何だろう−それは、神様のプランが実現して行く様子を子供たちに寄り添いながら楽しむ事ではないかしら。それが私の出来る一番良い事のような気がします。そんな事を考えつつ子育てをしていると色々教えられる事があります。人間は一人一人本当に違うという事。神様はその特別製の一人一人をひとまとめにではなく、それぞれを特別温かく見て下さっているという事。そして、そのまなざしが子供たち同様、私にも注がれているという事。その事が子育てに日々を送る私の支えで、励ましで、慰めです。
 聖書の中に『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』という一節があります。この言葉が私の愛する大切な大切な4人の子供たちの心にしっかりと据えられたら、私の子育ては大成功だと思います。何故なら、自分で自分のことを見捨てたいと思った時に私を支えてくれた言葉だから。子供たちにも伝えたい。
 さぁて、がんばろっと。いえいえ、私が出すぎる事がありません様に。神様、私の分を教えて下さいね。 ー私の子育てはまだまだ今日も続きます。


写真素材:ひまわりの小部屋