牧師コラム:スピリチュアル <2006年9月>
 最近、「スピリチュアル・カウンセリング」や「スピリチュアル・ペイン」など「スピリチュアル(spiritual)」という言葉をよく耳にするようになりました。先日も、あるお寺の住職から「仏教でも『スピリチュアル』という言葉を使うようになったのだけれど、本家はキリスト教だろうからこの言葉の意味を教えて欲しい。」というメールをいただきました。  
 本家がキリスト教かどうか定かではありませんが、「スピリチュアル」(霊的)とは心のさらに奥底の部分、すなわち人間の存在そのものを支えている部分のことを意味する言葉ではないか、とお答えしました。日本語で「霊」というと、「霊魂」とか「魂」という意味 に取られがちですが、決してそのような「えたいの知れない領域」のことではありません。  
 この言葉が注目されるようになったのは、1999年のWHO(世界保健機構)総会において、これまでの3つの健康定義(体の健康、精神的な健康、社会的な健康)に、4つ目として「スピリチュアル・ヘルス」(霊的な健康)を追加すべきだという提言がなされたことがきっかけのようです。最終的には、必ずしも追加は必要でないという結果になりましたが、それ以来「スピリチュアル・ヘルス」という考え方への注目は高まっています。  
 物質的な豊かさを手に入れ、心も体も健康になったけれど、何か物足りない。生きている実感がない、生き甲斐が感じられない、そんな「そこはかとない」不全感のようなものを現代人は感じているのではないでしょうか。ニートやフリーターと呼ばれる若者たちは、 日本人全体の「スピリチュアル」な不健康さの象徴かもしれません。  
 イエス・キリストは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」と言われました。つまり、人間というものは物質的にあるいは肉体的に満足しても決して幸せではない。「神の口から出る一つひとつの言葉」すなわち聖書の言葉によって「スピリチュアル」な渇望を満たされなければならない、と教えられたのです。人間はなぜ存在し、何のために生きて行くのか、聖書の中に答えはあります。
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