牧師コラム:誠実 <2007年11月>
 少し古いですが、ビリー・ジョエルが「オネスティー(誠実)」という歌を歌っていました。
「誠実。なんと寂しい言葉よ。めったに聞かなくなってしまった…。」1979 年の曲ですが、何だか最近この歌が心の中のスピーカーから聞こえてきてなりません。年金記録の紛失に始まり、年金保険料の横領、建築会社や食品会社の偽装、政治家の不正経理、などなど数え上げれば切りがありません。この手の事件があまりにも多すぎて、少し前のものを忘れてしまうほどです。
 一連の出来事に共通するのは、明らかな犯罪というよりも、「バレなければいい」という出来心的な違反行為であるという点です。おそらく最初はちょっとだけやってみて、うまくいったのでそれが常習化し、ついには組織や企業ぐるみで手を染めていったのではないでしょうか。
もちろんこのようなことは以前からあったのでしょうが、最近目立って増えているように思えてなりません。「バレなければいい」という発想の根底には「誠実」という精神の欠落があります。
 日本はかつて「信用・信頼」を第一とする国でした。細かい規定を作らなくても、間に弁護士がいなくても、互いの誠実さを前提として信頼し合ってきたのです。しかしいつのまにか誰も何も信用できない国に成り下がってしまいました。
 聖書の中に「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」という言葉があります。「霊」とは聖書の教える人間の一番中心的な部分のことです。つまり、これらの品性は、人間の心よりももっと深い部分に、人生の歩みと共に実らなければならない、と教えているのです。金こそすべての世の中で、私たちは人として大切なものをどこかに置き忘れてしまったようです
  
 聖書のことば
 「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、
  善意、誠実、柔和、節制です。」
前へ       ページを閉じる